その他

会社に行くのが怖かった毎日

公開説教に苦しむ40歳手前の私

当時勤めていた会社は、転職して5年目でした。

38歳の私は毎日苦しんでおりました。30人ほどのフロアの一角にある打合せ机で、上司から説教を受けるのが日課になっていたのです。

その頃、私はメーカーの技術者として、設計を担当していた部品の強度を検証し、その結果を報告書にまとめる業務を行っていました。

その上司の下に就いて2年目でしたが、クセの強い職人肌の人柄でどうも私とはソリが合いません。

作成した報告書にささいな誤記があれば延々と責め立てられ、修正したものを提出すると今度は別の箇所を指摘される。

まるでモグラたたきのようです。

来る日も来る日もその繰り返しでした。

何よりも辛かったのが、その上司が部下によって態度を変えることでした。

私以外の部下に対しては、手厚く優しい指導をするのですが、私に対しては明らかに風当たりがキツいのです。

報告書の内容を説明しても、上司は目をつぶったまま頷きもせず、聞いてくれているのか聞き流しているのか判然としません。

その一方で、ことあるごとに「お前は給料に見合った仕事をしていない」だの、「チームの中でお前だけが成果を出せていない」と批判してきます。

これを30人の職場の片隅にある打合せ机でされるのは、かなりコタえました・・自分の情けない姿をみんなに晒され、公開処刑に等しいものでした。

上司からの厳しい指導を受けてうなだれる私の姿を、後輩たちはニヤニヤしながら眺めていました。

これがこの上ない屈辱でした。

「ああ・・今日もみんなの前で怒られるのか・・」

毎朝目が覚めると、とてつもなく鬱々とした気分になりました。

私の身体に異変が・・

こんな状態が1年くらい続いた頃のことです

上司からの説教で言われたことがいつまでも耳に残り、帰宅後も脳内でリピート再生されるのです。

「こんなことも分からないのか」「そんなことくらい普通できるやろ」・・

上司の前で硬直してしまう不甲斐ない自分を思い出し、なかなか寝付けなくなりました。

眠りにつけるのは朝方になる日が何日も続くようになり、身体にはじんましんが出てくるようになったのです。

仕事で疲弊する辛さを打ち明けた

疲れ切った私の姿に妻が異変を感じたのでしょう。

「最近疲れてない?大丈夫??」と妻から声を掛けられました。

私は勇気を出してあるがままのことを話しました。

何十人もの目の前で、上司から1年ちかく毎日のように説教されていること。毎晩眠れなくなり、朝を迎えるのが怖いこと。私に向けられる周囲からの視線に怯えていること・・

辛さと情けなさで妻の前で涙が止まらなくなりました。

その時、妻から思いがけないことを言われました。

毎日頑張ってたんだね。もう会社を休もう。そして病院に行こう」と。

それまでの10数年間の会社員人生で、私は休職を経験したことがありませんでした。そのため、会社を休むのは未知の選択肢であり戸惑いを覚えました。

しかし、もはや出勤するには勇気が必要なほど疲弊していた私は、妻の助言に従い心療内科に行くことにしました。

診察の結果は・・「うつ状態」。

受け取った診断書を課長に提出し、休職させてもらうことにしたのです。

■会社を休んだものの・・

緊急避難的に会社を休むことになり、上司からの威圧に怯える毎日から解放されました。休めば元気になるだろうし、人事部が配慮してくれて異動させてくれるかも知れない。そうすればもうあの鬼上司に顔を合わせなくて済む。

そういう期待を胸にのんびり毎日を過ごしました。

休職開始から数か月経った頃、課長から連絡がありました。自宅でどのように過ごしているか近況を聞かれました。そこで私は思い切って、復職後の処遇について尋ねてみました。

すると・・

「当然ながら元の職場に戻ってもらう。隣のチームに変わってもらうけどね」と言われました。

鬼上司のチームからは離れることになりましたが、席は近いので毎日顔を合わせることになります。

他部署に異動したいという希望は、こうして脆くも崩れ去りました・・。

■職場復帰してからが地獄だった・・

休職期間は4ヶ月に及びました。

そして復帰してからが地獄だったのです。

「仕事投げ出して4ヶ月も休んでズルいやつ」「パワハラされたと課長に泣きついたらしいけど、怒られて当然のレベルじゃん」「アイツはいつも無駄話ばかりして仕事してなかったよな」

私がいない間、ある事無い事を陰で言われていたことを同僚から聞かされました。

そして、さらに追い打ちをかけることが起きます。私と同時期に中途入社した社員に、昇格試験の案内が来ました。それどころか、私より2年も後に中途入社した後輩にもその案内が来ました。

しかし、私にはいっさい声が掛からなかったのです。人事に聞くと、私が休職したことがアダとなったようです。

そして彼らは全員昇格試験に合格しました。

私はそれまで先輩風を吹かせていた相手が、自分より先に昇格した・・彼らは私を無視するようになりました。

視線が合えば、私を憐れむような目で薄ら笑いすら浮かべるのです。

この屈辱は一生忘れられません。

職場に行けば毎日、元上司のトラウマだけでなく、自分だけ取り残された屈辱感に苦しめられました。

そして家に帰れば妻に職場のグチを吐いたり、まだ就園前の小さな子どもたちにツラく当たったりと、荒んだ毎日を繰り返していました。

■今度は妻が・・

家事も育児もヤル気が起こらず、家のことは全て妻に任せる状態が1年近く続きました。

翌年の夏でした。その日の夜、妻と一緒にテレビを観ていた時のことです。妻が急に「動悸が止まらない・・」と訴え始めました。

身体を横にしても収まる気配がないため、救急車を呼びました。病院に運ばれ医師からは不整脈と診断を受けました。

翌日退院した妻から、実はしばらく前から精神的にしんどかったと言われ、心療内科で診察してもらいました。

そこで診察を受けたところ、妻は「不安障害」と診断されました。

精神状態が不安定な私を毎日目にし先行きが見えない上に、家事育児の負担を全て背負い、心身に限界が訪れたようです。

私はそれまで自分のことで精いっぱいで、妻が倒れるまで彼女に相当な負担を掛けていることを全く考えたことがなかっただけに、大きなショックを受けました。

■こんなはずじゃなかった

私のこれまでの人生は挫折ばかりでした。そんな中、当時勤務していた会社は念願だった「正社員」採用してくれた会社でした。

これまでの私の経歴はざっとこんな感じです。

1994年(15歳) 😄宮城の県立高校入学

1997年(18歳) 😭センター試験で平均点を200点も下回り受験失敗。
        浪人となり宅浪を選ぶが、勉強方法分からずバイトに明け暮れる

1998年(19歳) 😭受験校全滅し、2浪目突入。
        宅浪失敗を反省し、予備校に通い始める。
        しかしサッカー日本代表W杯初出場ブームの影響で、
        ゲーセンでサッカーゲームに明け暮れてしまう。

1999年(20歳) 😭3度目の受験でも国立大不合格。
        地方無名私立大の理系学部になんとか合格。
        不本意入学となり5月頃から休みがちに。

2000年(22歳)  大学2年、パチンコ屋でバイトを始める。
       😰バイトにのめり込んでしまい、単位を取りこぼす科目続出。

2001年(23歳) 😭必修科目を落とし留年決定

2003年(25歳) 大学4年になってから就活開始。
       😰100社に応募するも、ことごとく落とされ冬まで就職決まらず。
        唯一内定を出してくれたのが悪名高い超絶ブラック企業だった・・       

2004年(26歳) 👨‍🎓大学卒業。
       😭週6日勤務・残業月100時間超えの激務に耐え切れず入社半年で退職。
        3ヵ月間無職となり、転職活動。
        転職サイトで自動車メーカーへの派遣に応募し内定。愛知県へ転居。

2012年(34歳) 🤵結婚
       😄転職サイト通じて航空機部品メーカーへ転職し、念願の正社員に。       

2013~2014年 👶2人の子ども誕生

2016年(38歳) 😰うつ状態と診断され4ヶ月休職。

2017年(39歳) 😰妻が不整脈で倒れる

やっとの思いで正社員採用にたどり着けたのに・・

1社目は超絶ブラック企業で、2社目は派遣という立場上将来の不安が消えず7年で退職。
そして3社目にして念願の正社員採用が叶い、私は大いに張り切りました。

毎朝誰よりも早く出勤し、新人研修で受講した講座の演習問題を紙と鉛筆で解いてみたり、ビジネス本を読んだりしていました。

しかし、早朝出勤していくら頑張っても全く業務で成果が出ません。仕事において日々問題解決を迫られますが、全く歯が立たず右往左往するばかり。

何をどうすればいいのか分からず、上司からは「いつまで時間をかけるんだ?」と重圧をかけられ苦しい毎日でした。

そして、上司とのトラブルで精神的に参ってしまい、今度は妻が心労で倒れる・・。

なぜこうも人生うまく行かないのだろうか?そこで、自分のこれまでの人生を振り返りました。

・思いつきで行動してしまう

・幼少の頃から気が散りやすく、何事も長続きしなかった

・論理的思考が苦手で、感情に流されやすい

・高校で勉強について行けず、2年浪人。
 浪人中に勉強したのは、英単語と数学(2次関数のみ)と物理の力学分野のみだった。

・学生時代のバイト先でも仕事の物覚えが悪く、年下の先輩に叱責される毎日だった

■もうこんな人生リセットしたい・・

大学受験も学業も就活も仕事も何一つ上手くできなかった。自分の不甲斐なさに対するイライラで、子どもにはツラく当たり、家事育児を投げ出し、負担が集中した妻が倒れてしまった。

そして職場では孤立無援・・。

これから幼い子ども2人の養育費に何千万もかかるのに、果たして彼らが社会人になる20年先まで自分は働き続けられるのだろうか?さらにはその後も、老後にかかるお金を稼がなければならない。

途方に暮れるばかりでした。

「もう逃げ出したい。ここで人生終わりにすればどんなに楽になるだろう」

通勤途中で電車を待つホームで線路をボーッと眺め、電車の接近音で我に返るということがたびたび起こるようになりました。

■こんなダメ社員の私が40歳で年収200万円アップ?!

私は今でも人生に苦しんでいるのか?

答えはNOです。

今は毎日イキイキと仕事をしています!いろんな仕事に挑戦したい気持ちでワクワクすることばかりです。

それどころか40歳にして年収が一挙に200万円もアップしました。さらに、いつかはやろうと思っていた資産運用を始め、寝ている間や遊んでいる間でもいつの間にかお金が増えるような仕組みを作ることに成功したんです。

でもなぜ、あの絶望の淵から抜け出し、このような希望を手にすることができたのか?

■一体何が起きたのか?私が絶望から再起した方法

私が希望あふれる毎日を手にすることができたのは、自分の強みを活かせる世界に転身したからです。

ひとことで言うと「転職」したからです。しかも、大企業にです。

私の転職は「落ちこぼれに起きた奇跡」として、私が孤立に苦しんだ職場では知らない人がいないほど有名な話となりました。

■なぜ落ちこぼれ中年が大企業に転職できたのか?

40歳の年齢で大企業に転職できたからには、さぞかし輝かしい実績や特殊なスキルがあるんだろうと思われるかも知れません。

答えはNOです。

前で述べましたが、私は会社では圧倒的に落ちこぼれの部類でした。敢えて言えば、何度も転職してきたので様々な職種を経験していることや、小さい会社の技術開発部署で勤務していたので、上流から製造・評価といった下流まで深く入り込み幅広い仕事を経験してきたことくらいでしょうか。

私が大企業への転職を考えるようになったきっかけは、人生に絶望した3社目で、産業医と休職明けの面談をしたことでした。

メンタル不調での休職から復帰すると、定期的に産業医と面談をすることになるのですが、復帰してから1年経った時の面談でこう言われました。

「この会社にいるのが辛いようなら、転職するのも一つの手だよ」とアドバイスされたのです。

私の様子を復職後から見守ってくれた産業医のおじさんは、私が置かれた今の状況から、この会社から離れた方が良いと判断したのでしょう。

私はその時こう言いました。「もう40になります。これと言った実績もない平社員です。今さら転職なんて・・・」

すると産業医のおじさんは、「あなたと同じくらいの年齢で転職エージェントを使ってよその会社に移った人がいるよ。まだ若いんだから、可能性はいくらでもあるはずだよ。ここの会社の勝ち組が、人生の勝ち組ではないんだから」と私を励ましてくれました。

帰宅後すぐにネットで転職エージェントを検索し、これまでの経歴を入力していくつかに申込みました。すると早速、エージェントから面談の案内がメールで届きました。

そして後日、電話面談をしました。転職理由や希望する職種そして待遇条件、これまでの経歴について質問されました。そしてこちらからは転職に関する不安を打ち明け、対処法を教えてくださる流れでした。

その流れの中で、エージェントは私の中の強みをいくつか見つけてくれたのです。

・与えられた案件をあきらめずにやり遂げたこと

・いろんな会社で様々な職種を経験していること

そのエージェントから後日、数多くの好待遇の求人を提示され、私は驚きを隠せませんでした。

「こんな私に合う求人があるのか!」

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